春色の雲

上京一人暮らしの新卒OL、日々おもうことの記録。

目標について

 

テーマを決めて、なるべく毎日ブログを書いていこうと思っています。

 

 

今日は、目標について。

 

 

皆さん突然ですが、「目標」と「目的」の違いって何かご存知ですか?そんなこと知ってるよ、という人もいれば、なんとなく違うのはわかるけど、うまく説明できない、、そんな方もいらっしゃるかと思います。実は私はこれらの違いについて全くわからなかったのですが、先日、会社の研修で教えてもらいました。そこで伝えられたのは、

 

「目標とは、目的を達成するための道標である」

 

つまり目的がゴールで、目標はその過程にあるものなのです。それは必ずしも一つとは限らず、複数の目標がある場合もあります。目標の標は、道標の標、なのです。

 

今の私の目標は、「いつか自分で本を書くこと」です。いつになるかはわかりませんが、少しずつものをかく練習をして、いろいろな表現の仕方を学んで、「自分自身を表現」したいと思っています。

 

 

なぜ、私が自分自身を表現したい、そう思うのか、大きな理由の一つをこれからお話ししたいと思います。

 

私は幼い頃からずっと音楽をやってきました。他にも習字や、絵を習ったりもしていました。自分を表現することの楽しさや喜びを感じる機会を、私は惜しみなく与えられていたように思います。

 

ピアノで表現することもあれば、絵で表現することもありました。そして、私は作文を書くことが大好きでした。学校での感想文や意見文なんかは、毎回部屋に何時間も閉じこもって何度も原稿を書き直しながら、夢中で書き続けていました。誰かに良かったよ、と言われるたびに、嬉しくてたまらない気持ちになったのを今でも鮮明に覚えています。

 

しかし成長するにつれて、自分を表現する機会は減っていきました。きっと自分で機会を作ろうと思えば作れたはずです。私自身が忙しさを言い訳にして自分を表現することをやめてしまったのです。そして大学を卒業し、会社に入社しました。

 

今の会社は給料も悪くないし、意識も能力も高い人たちに囲まれているので、成長して仕事を頑張っていく環境としては恵まれている方だと思います。ただ、どこかで「自分を忘れたくない」、入社間もないのにもうそんな気持ちが日々湧いてくるのです。

 

そしてその気持ちが私に行動を起こさせました。小さな小さな一歩ですが、未来は動きはじめていると信じています。もしかしたら今のこういった現状も、なるべくしてなったものなのかもしれません。そう、信じたいです。

 

私の友人の中には「表現者」になった人達がいます。歌手だったり、イラストレーターだったり様々ですが、どうにも羨ましくて、どこか嫉妬している自分がいます。表現することをやめたのは自分自身のせいなのに。

 

自分を表現し続けている彼らとは異なり、こうして今社会人になり会社で働く私は、会社の先輩を見て、自分の未来を想像した時に、そこにいる自分が幸せそうかどうかをイメージしてみました。そして、ここにい続けると仮定した時に「本当にやりたいことをやっている自分」はそこにはいない、と気がついてしまったのです。お金を稼いでも、仕事でキャリアアップしても、自分自身には嘘をつけない、そう思いました。

 

 

 

もう一つ、私が自分自身を表現したい、と思う大きな理由があります。それは私の両親です。

 

私の家庭は裕福な方ではありませんでした。それでも両親は昔から私のやりたいことをなんでもさせてくれました。今思えばたくさん無理をさせてたように思います。習い事も、留学も、大学も、私の選択肢を狭めるようなことは一切ありませんでした。

 

本当にいろいろな経験をさせてもらいました。感謝してもしきれないほどです。

 

「親孝行がしたい」、そう思い両親にとって何が親孝行なのかをずっと考えていたのですが、私は「自分の本当にやりたいことをやって幸せになること」が私にできる一番の親孝行なんじゃないか、そう思いました。

 

これが正解かどうかはわかりませんが、きっと私の両親は心から喜んでくれると思います。

 

「自分の本当にやりたいことをやって幸せになる」という目的を達成するために、私は「いつか自分の本を書く」目標を達成させたいと思っています。その目標にたどり着くまでにも、またたくさんの目標を通っていくと思います。

 

一つ一つ、確かな道標に沿って、自分を見失わないように。少しずつ前に歩んでいきたいと思います。

 

 

読んでくださりありがとうございました。

夜も深くなってきました、おやすみなさい。