春色の雲

上京一人暮らしの新卒OL、日々おもうことの記録。

新卒同期

 

お久しぶりです。

約一週間ぶりの投稿です。

 

本当はブログは毎日、遅くても三日に一度は更新したいのに、今週は忙しくてそれができませんでした、、、言い訳ですが、、、

プレゼン発表、テストなどが毎日立て続けにあり、余裕がなく二日連続夜中の2時まで同期の子とzoomで練習をしたりしていました。この短期間でまあ色々なことがあったので、そこで感じたことなどを今日は書いていこうかと思います…

 

 

 

まず私は入社したての最初の2日で、同期の子達とは性格が合わないと感じていました。大学の友人には「外れてしまったわ〜」なんて言って、『一人で強く生きていく宣言』を立てていました笑

 

そして部屋では一人、友人や家族からの手紙やメッセージを読みながら泣いていました。この会社で本当にやっていけるのか不安な気持ちと、頑張らなきゃいけないという焦りで追い込まれていました。

 

 

 

それから毎日少しずつ慣れてきて、都内では緊急事態宣言が発令されたため仕事は完全リモートワークになりました。お陰で同期と会う機会が減りました。その代わりに大学や高校時代の友人と会う余裕が出てきて、私の心は少しずつ元気になってきたように思います。

 

 

しかしそんな中研修の一環でペアを組み、役員全員の前でプレゼンをするという課題が出されました。ペアは自動的に組まれ、毎週ペアを変更しながら行われることになりました。

 

 

一回目は成功しました。ペアになった子と積極的にコミュニケーションをとりながら入念に準備し、練習を重ね、質問を予想してその答えまで準備をし、本番に挑みました。褒められた時は正直、かなり嬉しかったです。

 

 

しかし二回目の発表の準備に入ると、新しいペアの子となかなか思うようにコニュニケーションが取れませんでした。私の考えを伝えようとしても尽く論破され笑、挙げ句の果てには前回私のチームが上手くいったやり方を伝えると「正直言い方最低かもしれないけどそれで上手く行ったのは運が良かったんだと思う」と言われてしまいました…

 

実際二回目のペアの子はプレゼンがかなり上手く、本人もそれを自覚しているようで以前から時々私を下に見ているような発言がありました。普段は気にしないようにしていましたが、一緒にプレゼンをするとなるとそれが露骨に出てくるので正直悔しい気持ちが出てきてしまいます…

それに準備が全然進んでおらず、私の方ばかり焦っていて余計に負の感情が溢れてきていました…

 

 

そして、それとはまた別で今度は二日連続で基礎知識が定着しているかのテストが行われることになりました。こちらも役員の前でプレゼン形式で発表をしていくものでした。

 

このテストの準備を私は最初、一人で行おうと思っていたのですが、一人でやっていてもフィードバックがないと改善できないと思い、勇気を出してある同期の子を誘いました。

 

快く了承してくれ、二日間夜の9時から深夜2時まで一緒にzoomで練習をしました。そしてその時に初めて、お互い会社に入って普段どんな風に感じているか話をしました。

 

毎日自信があって楽しく過ごしているように見えていたその子が、実際は悩んでいたということを知りました。私のことも話していくと、一気に打ち解けあえたような気がしました。

 

その時、これが『同期』なんだと思いました。

 

私は入社してから毎日なかなか夜寝つけませんでした。次の日また仕事があるのが嫌で、無意識に寝たくなかったんだと思います。でもその日は、仲間ができたのが嬉しくてなんだか眠れず、次の日仕事があると思っても前ほど嫌な気持ちにはなりませんでした。

 

 

しかしテスト当日、練習の甲斐なく尽く指摘され、「できていない」との言葉をもらい、目の前で二回目の発表のペアの子が褒められている様子を見て、悔しくて何の言葉も出ませんでした。zoomを切った後は涙が止まりませんでした。

 

何度顔を洗っても、何故か自分でも恐ろしいほどに涙脆くなっており、もう切り替えたと思っているはずでも、ずっと涙が止まりませんでした。

 

 

どうしようもないため退勤後外に出て、散歩をすることにしました。しかし歩いていても涙が止まらなかったため、思い切って練習を一緒にした子に電話をかけました。

 

するとすぐに反応してくれて、話を聞いてくれました。スッキリして、涙は止まりました。

 

 

 

こんな日が、これから続いていくんだなと思いました。

悔しかったり、凹んだり、嬉しくなったり、誰かに励まされたり、

 

まだまだ始まったばかりですが、負けないように一歩一歩進んでいきたいです。

ドラマの主人公にでもなった気持ちで、必ず何かを学んで、そして最後に笑えるように。

 

同期ともこれから色々なことがあると思います。それでも、励ましあえるような関係を続けていけたらそれはきっと素敵なことだな、と思います。

 

頑張っていきたいです。

 

今日も読んでくださりありがとうございました。

夜遅くなってしまいました、おやすみなさい。

初任給

 

こんばんは、4日ぶりの投稿です。

 

今週は仕事の研修で何度もプレゼンをさせられ、その度に自分の出来の悪さに落ち込み、夜はプレゼンの練習に励んでいたら自分の時間が無くなり、落ち込んだ気分をリフレッシュする間もないまま今回の週末を迎えていました。

 

友人と会う予定を立てる間もないままの週末だったので、だったら一人で可愛い洋服でも買って気分を上げようと思いデパートに向かうとデパートは休業。

 

さすがの私もめげそうでした(笑)

 

 

ですが、気持ちを切り替えて、家で「初任給」を家族や親戚に配る準備をすることにしました。以前神保町を訪れた時に購入した可愛いポチ袋にお金を入れて、手紙を添えて家族分用意しました。

 

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親戚にはお菓子折りと図書券を用意しました。メッセージカードも添えて。

 

初任給は20日締めの日割りだったので少なかったため、今月は節約の甲斐もなく大赤字です(笑)

 

でも全然いいのです。今まで全くお金を生み出してこなかった(さすがにアルバイトはしてましたが)私が、初めて頂いたお給料です。どれだけ自分が周りの人達に助けられて生きてきたのかを、改めて実感しました。

 

ちょっと泣きそうになりながらお手紙を書きました。後々読み返すと恥ずかしくなるような文章だったので、すぐに封をしました(笑)

 

 

これだけでは、今までしてもらった分には到底足りませんが、それでも喜んでくれますようにと願いながら、そしてありったけの感謝の気持ちを込めて。

 

 

落ち込んだ気分も少し晴れたような気がしました。また、もう少し、頑張れるような気がします。

 

 

今日もここまで読んでくださり、ありがとうございました。

それでは、明日から素敵な一週間が始まりますように。

 

強さと優しさ

 

こんばんは。

今日は、強さと優しさについて書いていこうと思います。

 

 

皆さんは強さと優しさ、どちらがより大切だと思いますか?

 

もしどちらも同じくらい大切というなら、どちらが先に来るべきだと思いますか?

 

 

…というのも先日、会社の研修の中で

 

「強さと優しさ、両方兼ね備えている人になりなさい。そしてどちらが先行するかといえばまず強さがくる。まず、強くないと何も守れない。そして、優しくなれ」

 

という言葉を頂いたからです。

私はこのことについてずっと考えていました。

 

確かに、人は強くないと何も守れません。その点については深く同意します。しかし、そもそも「強さ」の定義も曖昧で、何を持って「強さ」を兼ね備えていると言えるのか。「優しさ」に関しても同様です。

 

 

ただ、もしここでの「強さ」の定義を肉体的なものではなく、”逆境にも負けない精神力”といった類のものにするならば、強さが優しさの先に来ても違和感がないようにも思います。

 

 

 

私は、幼い頃泣いてばかりいる子供でした。誰かの言葉に一喜一憂し、映画を見ても登場人物に共感して毎回嗚咽が出るまで泣き続けるような子供でした。

 

 

小学二年生の頃、私はいじめに遭いました。家に帰った後堪えきれず「学校に行きたくない」「消えてなくなりたい」などと言って泣き、母を困らせました。結局その件は、母が私のいないところで担任の先生に相談して、上手いこと状況は改善されました。

 

 

それから私は学年が上がるにつれ、クラス替えや部活、習い事に入ったりして色んな友人や先生と出会いました。少しずつですが自分に自信もつきはじめ、前のように意地悪を言う男の子に対しても言い返せるようになりました。強さを身につけていったように思います。

 

 

しかし、小学六年生の頃。私は家庭の事情で引っ越しをすることになり、学校も転校をしました。後から聞いた話ですが、不運なことにその学校は転校生いじめが酷いことで有名な小学校で、私は早速ターゲットにされました。

 

誰もいない孤独な中で浴びせられる冷たい言葉。11歳だった私の小さい心は今にも砕けそうなほどに脆くなっていました。

 

そんな中、一人の女の子が「こっちにおいで」と私の手を引き、その子のグループの輪に入れてくれました。意地悪を言う男の子に対しては言い返して追い払ってくれました。あの時のことを10年以上たった今でもしっかりと覚えています。

 

いじめはなかなか終わらなかったけれど、少しずつ友達が増え、部活にも入り、その学校では充実した日々を送ることができていました。中にはいじめっ子に私が何か言われている時は何も言わないけれど、いなくなってから私に声をかけてくれる子も何人かいました。

 

 

 

あの頃の経験を通して思うのです。「優しさ」は案外どこにでもある、ということ。でも「強さ」はなかなか難しい。だからこそ、身に付けていくことが大切だということ。

 

小学二年生の頃の私を守ってくれた母と先生も、転校して一人ぼっちだった私の手を引っ張ってくれた友人も、みんな「強さ」を兼ね備えていたから私のことを守ってくれたんだと思います。

 

 

人はそれぞれ、色んな事情を抱えています。でも、”優しくありたい”と願っても、そして実際に「優しさ」を兼ね備えていたとしても、内に秘めているだけでは誰にも伝わりません。そして自分自身に逆境が訪れた時には、”どうして自分だけこんな目に遭うんだ”と落ち込み、周りも、自分の目の前さえも見えなくなってしまうことがあります。

 

「強さ」というものはすぐに身につくものではありません。時と、経験と、自分自身の信念と、身の回りの人や環境など色々な要素が合わさって「強さ」は少しずつその人に身についていくものだと思います。

 

ただ、「強さ」を身につけたからといって、その人が痛みを全く感じないわけではないと思うのです。私を守ってくれた母も、先生も、友人も、堪えきれず涙を流す日もあると思います。

 

そして、時にその「強さ」が間違った方向に働いてしまうかもしれません。だからこそ「優しさ」が必要であるということ。傲慢になってしまえば、きっと人は一人になってしまう。そうなってしまったら、何のための「強さ」なのでしょうか。

 

 

私は、まだまだ十分な強さを兼ね備えているのか自信はありません。でも、優しくあるために強くありたいと願っています。

 

幼い頃の私を、そして今も私を優しい強さで守ってくれている大切な人達のように。

 

 

 

今日も読んでいただきありがとうございました。今回は私の思いが強めな記事になってしまいましたが、恐らく一日中家に引きこもっていたせいなのかもしれません、、笑

 

皆さんは、どう思いますか?何か感じたり考えたことがありましたら遠慮なくコメントに残していただけると幸いです。

 

それでは、今日も一日お疲れ様でした。

良い夢を。

 

逗子旅

 

GW、皆さまいかがお過ごしですか?

 

私は実家に帰省せずに東京で過ごしているのですが、友人とせっかくだから家にずっとこもっているよりも一日くらいは自然に癒されに行こうとなり、人生で初めて逗子に行ってきました。

 

写真がこちらです。

 

 

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駅から15分程歩いてトンネルを抜けた先には、太陽の光を反射してキラキラと光る海が一面に広がっていました。

 

この日は風が強かったので、ウィンドサーフィンをしている人たちの姿がたくさんみられました。色とりどりの旗が蒼い海面を滑っていく様子を横目に、友人と一緒にレジャーシートを広げて座りました。

 

 

会社に新卒で入社してようやく一ヶ月、色々ありながらもこうやって休日を過ごせていることを「今日は本当にいい日だね」なんて言いながらその幸せな気持ちを噛み締めていました。

 

 

 

…しかし、ジュースでも飲んで乾杯しようとしたその瞬間、手に冷たい感触が、、

 

そして10分もしないうちに空の色はみるみる変わり、突然雨が降り出しました。

 

 

こんなに、、こんなに楽しみにしていたのに、、!シートを広げてからまだ10分も経ってない、、!と友人と言い合いながら急いで撤収しました。あまりの状況に二人でずっと大笑いしながら片付けをしていました。

 

 

ハプニングでさえ笑い合える友人で良かったと、雨宿りをしながらそんなことを考えていました。「またリベンジすればいっか」と言い合いながら。

 

 

とりあえず駅に向かって歩きながら、せっかくだから美味しいものを食べて帰りたいねとなったので、スタバと隣接している「マレード茶屋」というケーキ屋さんに入りました。店内は満席だったのですが、運よく開いた屋根付きテラスの席を確保。

 

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私はスワンの形をしたシュークリーム、友人はバナナのケーキを頼みました。程よく甘くて優しい味のクリームに心癒されました。それから友人とずっとお喋りをしていました。

 

 

天気は悪くても、大好きな友人と過ごせて私の心は晴れていました。

 

 

 

読んでいただきありがとうございました。残りのGWも身体に気をつけてお過ごしください。では。

 

仕送り

 

昨日、嬉しいことがありました。

 

それは、、

 

 

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母からの仕送りです。

それも、母の手作りの作り置きのおかず達です。

 

 

びっくりしました。”チルド”というものを使って送られてきたのですが、こんなのことできるのですね、初めて知りました。

 

 

同封されていた手紙には『台所が小さくて心配だったので、おかずを少し送ります』と書かれていたのですが、台所の大きさの心配というより、きっと社会人になったばかりの私が落ち込んでいたのを励ますために送ってくれたんだと思います。

そしてやっぱり、母の料理を食べると元気が出ました。

 

 

社会人になりたての頃(今もなりたてですが笑)、本当に入社一週間目は心が沈んで落ち込んで、母からの手紙を読みながら泣いてばかりいました。

 

でも今回の手紙では、泣くことはなくむしろ笑顔になっていました。

 

 

以前とは違い今は少しずつこの生活にも慣れてきて、比較的心を開いて話せる同期も現れてくれたお陰なのかなと思います。もう一人前になったと思っていましたが、結局私は一人では生きられない人間なんだな、と思います。

 

それでもいいのかな、と思います。私は誰かがいてくれるお陰で自分というものを認識できているような気がします。誰かと一緒にいて、泣いたり、笑ったりしながら、自分がどんなことを感じて、どういう考え方をしているのか。そんなことが見えているような気がするのです。

 

 

少々哲学チックな話になりましたが、この話はいつか自分自身熟考してからまた投稿したいです。

 

つまりは何が言いたいかというと、社会人になって「一人でこれから頑張らなきゃいけない」と背負い込み重くなっていた心も、少しは上手にコントロールできるようになっていて、そもそも私は今もあの頃もこれからも一人ではないということに気づいた、ということです。

 

 

次帰省したときには母の料理をまた教えてもらおうと思います。

 

 

さて、明日は出勤ですが金曜日です。

頑張りたいと思います。読んでいただきありがとうございました。おやすみなさい。

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 感想

 

 

本日、ヴァイオレット・エヴァーガーデン 全13話、観終わりました。

 

いやー、、、いいアニメでしたね。映像も、音楽も、ストーリーも、どれをとっても美しかったです。こういう美しい物語を見ると、心が洗われるようです。

 

 

内容を観たことがない方のために簡単にご説明すると、

ヴァイオレット・エヴァーガーデン』とは、元軍人で退役後に”手紙代筆人”の仕事を始めた女の子のお話です。その子の名前がヴァイオレット・エヴァーガーデン。この名前は生まれた時からずっと持っていた名前ではなく、名付けてくれた人がいました。彼女はその人が残してくれたある言葉の「意味」を、手紙代筆人という仕事を通して探していく、そういったお話です。

 

彼女が仕事の依頼を通して多くの人の悲しみや苦悩、愛に触れながら、真っ直ぐにそれらと向き合おうとする姿は、毎回涙なしには観られません。

 

特に10話はファンの中でも人気のエピソードだそうで、ちょうどYouTubeを観ていたらお笑い芸人のFUJIWARAさんのリアクション動画を見つけました。そしてそのリアクションを見ながらまた涙する私。。。笑

 

もう一度観たい、そう思えるアニメでした。

 

 

そしてここからは少しだけ、感想をお話ししたいと思います。ネタバレが苦手な方はご遠慮ください。

 

 

 

最終話でのヴァイオレットから少佐へのお手紙。私はヴァイオレットは少佐に一言「愛してる」と書くのかな、なんて単純に思っていました。しかしその内容は、「春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て…季節がどれだけ巡っても、少佐のいる季節だけ訪れてきません」といった美しい冒頭から始まりました。立派な手紙代筆人になった彼女は、時の流れと”自分の気持ち”をこんなにも美しい言葉で表現できるようになっていました。私はこの冒頭に心を動かされました。

 

 

そして文末の一言、

「『愛してる』も、今なら少しわかるのです」

ここで涙が溢れてきました。単純に愛してる、という言葉を使わずに、その意味が今なら少しわかる、という表現をした彼女の心があまりに純粋で綺麗で、少佐の言葉を長い間ずっと大切にしてきたからこそ出た表現だな、と。そう思いました。

 

 

書いた手紙が街中に舞っていくシーンは本当に綺麗でしたね。私はこのシーンを見て、日本にも、そしてもちろん世界中にも、歴史上戦争によって亡くなった方々が大勢いることを思いました。きっとそれぞれに大切な人がいて、そしてそれぞれが誰かの大切な人だったはずです。消せない過去も、取り戻せない未来もきっと数えきれないほどありますが、大切な人を想うその想いだけは、たとえ目に見えなくても、残された人達に受け継がれ続けていくんだろうな、と。そしてその想いを受け継いだ人達で、これからの未来を紡いでいくんだろうな、と。これじゃまだまだ短絡的な考えなのかもしれませんが、私は、そう思いました。

 

 

そして、最後のシーン。ヴァイオレットが自然豊かな場所にある小さな家に訪問し、いつも通りの挨拶をしていたところ。顔を挙げて依頼人を見た途端に、彼女の表情が変わりました。嬉しそうな、どこか泣きそうな、そんな表情。これに似たようなシーン、どこかで見たことあると思っていたのですが、、、

 

 

思い出しました。宮部みゆきさん原作の『ブレイブ・ストーリー』です。私はこの映画が大好きで、小学生の頃DVDを買ってもらって何度も何度も繰り返し見ていました。その映画の最後のシーンでも相手側の表情は見えないのですが、主人公が会いたくて仕方なかった人、でももういないはずの人のような声がするのです。そしてその先を見るなり主人公の表情が変わり、彼の泣きそうな表情で画面は途切れエンドロールが流れる、そんな終わり方でした。

 

 

余韻の残る、素敵なエンディングですよね。観た人はその真相や続きが気になって誰かと話したり、考察をしたりします。その時間は物語を観たり聞いたり読んだりする上での醍醐味だと私は思います。

 

 

今回も、しばらく余韻に浸ろうと思います。映画もあるみたいで、早速ゴールデンウィークにでも観たいと思います。

 

 

明日出社したら明後日はお休みです。

今日もそろそろ寝て、明日に備えたいと思います。

 

読んでくれてありがとうございました。おやすみなさい。

 

何について書くか、について

 

 

今日は、何について書こう。

 

 

何かを書こう、と思って考え始めるとなかなか言葉が出てこない。学生時代に授業中の課題で出された作文のようだ。人から見られる前提で何かを書こうとすると、余計に言葉に慎重になる。内容を考える。悪いことではないが、こういった時少し窮屈に感じてしまう自分がいる。

 

 

私は以前にもブログを書こうと思ったことがあった。いや、厳密に言えば実際にブログを書き始めたのだ。ドメインも1年分購入した。今から約2年前くらいのことである。ただ、当時はどうしても文章の体裁や閲覧数、そういったものが気になってなかなか書き進めることができなかった。ようやく何時間もかけて書いたブログの記事は、結局人に見られることはなかった。そして、私は忙しさを理由にしてブログを書くのをやめた。

 

 

本当は自分が好きな自由な文章書きたかった。しかし今ネットに溢れている情報では、「ブログ」と検索をしようとすると、「ブログ 稼ぐ」「ブログ 副業」「ブログ 収益化」そういったものが検索の関連キーワードですぐに出てくる。

 

昔のブログはもっと自由な場所だったような気がする。ブログに限らずTwitterInstagramもだ。昔を懐かしんで今を否定する人間にはあまりなりたくないと思ってはいるが、やはりあの頃がどうしても懐かしい。各々が自由に呟きたいことを呟いて、なんでもない日常を共有して、それに否定や揚げ足取りもさほどなかったように思える時代。あの頃だったらブログももっと書きやすかっただろう。今ほどさほど有益な情報を得ることはなかったのかもしれないが、、、これは言い訳のように聞こえてしまうかもしれない。いや、きっとこれは私自身が受け入れたくない言い訳なのだ。

 

 

それでふと思ったことがある。自分が好きなもの(今の私で言えばものを書くこと)を仕事にすると言うことは、一定の犠牲を払わなければならないのかもしれない、と。

 

例えば私は幼い頃から音楽をやってきた。母からピアノを教わり、小学校中学校高校ではずっと吹奏楽部に所属し様々なコンクールに出場していた。

しかしそれは稼ぐ手前のこと。所詮どれだけ練習しても、あの時の私のレベルはまだ好きを仕事にする前の段階、たいした苦労も味わってない段階だったようにも思う。こんなことを言ったらあの頃の自分に相当怒られるかもしれないが、きっと、そうである。

 

ただこの例には一つ例外があある。コンクールのための練習をしているとき、私は音楽を嫌いになりかけたことが何度かあった。きっとそれは、音楽の練習が自らの選択肢ではない「義務」なっていたから、であったように思う。

 

仕事にしなければ、義務にしなければ、好きなものはきっと、ずっと好きなままでいられるだろう。

 

ただ、それでも好きを仕事にしている人たちがいる。それはおそらくずば抜けた才能を持っているのか、強い精神力や想いからなるものなのか。いずれにせよ、ただ好きというだけで働くことは難しい、他人には見えない世界、経験、想いが彼らにはきっとあるのだろう。私は、そのように思う。

 

 

とは言え諦めきれなかった夢である。自分を表現すること。こういった矛盾の中で今の私が精一杯に出した答えは、「考え抜く」ことである。

 

考えて、考えて、自分の経験や感じたことを出来る限りの力で言語化する。もちろん自分の言葉で。それならきっと一度ブログを辞めた時のように、余計なもの(といったら失礼かもしれないがあえてここでは語弊を恐れずにこの言葉を使う)に気をとらわれすぎずに、続けることができるかもしれない。ブログはインプットとアウトプットのいい練習になるように思う。だからこそ続けていきたい。

 

 

 

 

ただ、もし私が知らないうちにブログを辞めていたら笑ってやってください笑

 

 

…という、思ったことを書いているような、改めての決意表明のような、そんな記事になりました。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

 

ゆっくり休んでください、おやすみなさい。